下町グルメあるきそしてゴーギャン展

 「頭と胃袋」に栄養をたっぷりと

 空には鰯雲が流れ、肌をなでていく風はさっぱりとした初秋の風だ。  

今日は時間をぎゅっと凝縮した計画で楽しい一日が始まった。

 まずは、神楽坂界隈をぶらぶらと散歩する。  

ランチ迄には少し時間があるので、ご利益をいただきにお寺にお参りをする。

 「久しぶりの金粉会が無事に楽しく過ごせますように・・・」

 この辺りも老舗がなくなり街の感じがずいぶん変わっている。

 夏目漱石や文豪達が好んで行ったといういう「田原屋」も無くなってしまった。

一抹の淋しさが残る。

以前、夫と訪れて洋食を食べ、コーヒーを飲んだ思い出がある。

 変わらないのは、瀬戸物屋さん、漆器屋さん。並んでいる。瀬戸物屋さんの軒には風鈴がチリチリと涼  しい音色を奏でている。  

丁度良いランチタイム! 

路地をひとすじ入って友人が探してくれた洒落たお店で、おいしい和食のランチをいただいた。

音楽が今ひとつの動画だが、記念になるかな?と思いUPしてみた。

前半はランチタイム、ゴーギャン展の後は森下町界隈の花などを写真に撮ったものである。

これから、夕飯迄は「頭と心」に栄養を入れに「東京国立近代美術館へ向かった。 

 「ゴーギャン展」

「我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか」

 ゴーギャンの最高傑作、日本では初公開である。

 (公式hpは http://www.gauguin2009.jp/items.html  )   

                           Items_1                       

この横長の絵は右から左へと人間の誕生から死迄、また文明と未開といった、ゴーギャンの深い感情や思 索を哲学的に表現している。

ゴーギャンは35歳位から印象派のピサロから影響を受け絵を始めたがほとんどが独学で自分の絵を確立していった。

最初はほとんど売れず栄養失調になるほど貧しかったらしい。

ゴッホという友を得るがともに個性の強い性格で、共同生活で制作したのは、たったの2ヶ月くらいだったそうだ。

その後ゴッホは自らの命を絶ち、ゴーギャンは楽園を夢見てタヒチへ移住する。

しかし、すでに夢の楽園はなく、2年足らずでフランスへ帰るがパリの美術界には受け入れられず、愛娘の死も追い討ちをかけ、再びタヒチへ移住する。

彼の主な作品は、この二度目のタヒチでの制作がほとんどだそうだ。

彼はこの後もタヒチから千数百キロも離れたマルキーズ諸島に移住しこの地で最後を終えた。

54歳で亡くなっているが、絵が売れ始めたのはその2年位前からだそうである。

漂白の定めを持った個性の強い芸術家の、そうせざるを得ない心の叫びが、絵を見る者に

迫ってくる。

「女性と白い馬」

は自分の死を予感してか、丘の上に描かれた白い十字架と白い服の優しい女性が印象的だった。

凡人には迫り来るものが強すぎたせいかちょっと重かった。

「そういえば、ゴッホ展もこの美術館で見たね。何かつながりを感じるね」

と、Nonさんが外へでた時呟いた。

さて、気分を変えてメインの森下町へ移動する。

老舗の味を存分に味わって、お酒も頂き、楽しいおしゃべりに花が咲き、平凡に生きる幸せ

をこころゆくまで満喫して、充実した一日が終わりました。

外へでると、通りの提灯に明かりが灯っていました。

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夏の花

「蓮の花を見て」

Dsc_5088

今年の夏は本当に変な気候だが、太陽は照りつけなくても,蝉が孵りジージーと鳴いている。

そして関西は八月がお盆なので、そろそろ準備が始まる頃だ。

一昨日,90歳になる叔母が亡くなった。

血縁ではないが、母親が病気がちだったため、5、6歳の頃こ の叔母にお世話になった事がある。

もう60年前の事だ。

あまり記憶にはないのだが、阪急の十三で乗り換え豊中迄いく。

十三の駅はその頃と今もあまり変化していないように私には感じられる。

特に叔母が優しかったという印象はないが、いとこも二人いたから叔母さんには、迷惑だった事だろうと 思うが、しばらくそこで暮らしていた。

Dsc_5043 叔父さんは,母の弟で細面の顔で,母親に似ていて優しく私は好きであった。

この叔父は絵が上手で、画家になりたかったそうだが、時代の流れで伊藤忠に就職して繊維デザインの仕 事をしていた。

毎年くる年賀状は我が家ではピカイチであった。

叔母は器用な人で、手編みが得意で娘にはいつも手の込んだセーターやカーデガンを着せていたので、 私はとても羨しかった。

今、私が元気にしていられるのは、いろいろな人に育てて頂いたおかげであると感謝している。

先月、近郊の沼に咲いている蓮を撮影してきた。 写真を見て叔父や叔母をふっと思い出した。 Dsc_5086

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夏の夜に大輪の華

毎年恒例となっている「青梅の花火を見よう会」。

私は昨年は参加できず残念だったが、今年はいそいそ参加した。

夕方5時に青梅駅に集合。

現地に着いてすぐまずは宴会が始まる。

すごい、すごい手作りのご馳走が魔法のようにそれぞれのバッグから飛び出してくる。

Img_0310_5 花火といえば海や湖、川のそばが普通であるが,ここ青梅の花火は、御岳山の森を借景にして真上に打ち上げられるのが他とは違う。

真上にあがるのだから首が疲れるので、枕を並べ寝転んでみるのである。

真上から落ちてくる花火は、自分の為だけに打ち上げられたような,錯覚をする。 Mvi_0344_3

花火の規模は小さいかも知れないが、青梅市は企業や宿坊の方や、役所は勿論,市民の募金や個人の寄付 によって成り立っている。

各地の花火大会、お金が集まらないで廃止されたところも沢山あるそうだ。

隅田川の花火を見に行った時は人が一杯で、橋の上ではおまわりさんが大きい声で「立ち止まらないで! 歩いて下さい。立ち止まらないで!」と叫んでいたのを思い出した。

それに比べるとなんと贅沢な事だ。

仰向けに寝転んでいると、涼しい風が吹いてきていつのまにかすうす うと,寝息を立てている人もいる。

幸せな風景だ。

今回始めて動画をUPしたが、これはコンパクトデジカメで撮ったものだ。 臨場感がでているかしら?

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雨に歌えば(ナンバー2)

「梅雨時の花」

紫陽花の次は、やはり菖蒲だ。

最近の菖蒲田にはいろとりどりの菖蒲が植えられているが、随分交配されて品種が増えているらしい。

Dsc_4256_2 Dsc_4251_3 Dsc_4368_2 あとはこの季節の優雅と豪華さを持った花、それは百合の花だろう Dsc_4395_2 Dsc_4413_2 Dsc_4426_2

百合園には、白い鉄せんにはオレンジの百合が、紫色の鉄先には黄色や白の百合があわせて植えてあった。

どの花達もけだるくて、うっとおしい梅雨を享受し歌っているような感じがした。

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雨に歌えば(ナンバー1)

「梅雨時の花」

と言えば紫陽花だが、自宅近くの紫陽花はそろそろ終わりに近い。

今年は雨の日、雨上がりのすぐ後に紫陽花や梅雨を喜んでいるような花をとってみたいと思った。

まずは紫陽花、 Dsc_4547 Dsc_4574 Dsc_4535 紫陽花はなかなか写真にするのが難しい。

雨の日鮮やかな色合いが眼に飛び込んでくるとほっとする。 あるとき、こんな紫陽花に出会った

Dsc_4711 雨上がりの夕方時の事であった。

花にトンボが止まり羽が透けて見え、美しい。

近づくとやっぱり飛んでいってしまった。

この紫陽花の花の近くでは子供たちが水遊びをしていた。            

                            つづく

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最近読んだ本

「フジコ・へミング 魂のピアニスト」

「赤目四十八瀧 心中未遂」

1 この2冊の本は、内容が全くジャンル違いなのであるが、久しぶりに感動したり、自分とは生き方の違う主人公が面白いと思った本である。

フジコ、へミングさんは有名なピアニストであり、その音色は優しく、力強く、勇気が湧いてくる。

名前は存じていたし、NHKの「この人にときめき」にも出演されていて、CDも良く聴くことがある。

車谷長吉さんは、じつは最近まで、全然知らなかった作家である。

何で知ったかというと朝日新聞の紙面が四月から変わって、「悩みの るつぼ」という人生相談の記事が始まった。

何人かの回答者が、毎週代わって答えるのだが、そのうちの一人が車谷さんである。

私はこの記事が、気に入っていて毎週楽しみに読んでいる。悩みに正面から回答する人、全く関係がないと思う回答を出す人、自分もこんな事で悩んだと言う答えを出す人。

彼の回答は、「えっ」という意外な答えを出す人で、どんな小説を書く人だろうという興味からこの本を買った。

「私」小説らしく感じさせる文章と、今まで聞いたこともない言葉や漢字が次々と出てきて、ずいぶん脳の刺激になった。

文中の話し言葉」は関西弁である。

関西弁は文にするととても難しいと以前から思っていたが、スルスルと入ってくる。

本の裏の帯にも「圧倒的な小説作りの巧みさと見事な文章で、底辺に住む人々の情念を描き切る・・・」と解説者(川本さん)は批評している。

私は秋に「赤目四十八瀧」に行った事を思い出しながら読んだ。

フジコさんの本は、ある日ふらっと立ち寄った楽器やさんに並べられていた。

一杯並んでいる大きい本屋だったら、目に入らなかったかもしれない。

字も大きくて読みやすい、何よりも彼女が子供の頃から描いていた日記のイラストが楽しい。

多彩な彼女の一面がよくわかる。

才能がありながら、いや!

才能があったからこそ、無知や無理解と戦わねばならなかった若い頃のフジコさん。

でも大好きなピアノで、困難を乗り越えてこられた芯の強さ。

高熱で耳が聞こえなくなって、生きる気力をなくしてから、再起された事、

カラヤンや、バーンスタインとの奇跡のような出会い。

いつも前向きに生きてこられた、彼女の生き方は本当に「尊敬」する人生の先輩の一人だと思う。

演奏会の利益はほとんどユニセフや難民支援に寄付されるという。

あっ、そういえばバーンスタインの指揮のCDがあったはずだと探して出してきた(笑)

さあ!

微力な自分も、フジコさんのリサイタルに是非行かなくっちゃ・・・・

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坂東札所めぐり

「埼玉の古刹」  つぎに行ったのは札所11番「安楽時」

駅は東松山、ここは「原爆の図」で有名な丸木美術館のあるところである。

その件はまたの機会においておく。

安楽寺は駅からかなり遠いとやす子さんは言う。何しろ地方のお寺は不便なところにあるのが常である。

取りあえず往きはタクシーに乗った。タクシーで20分以上はある。

丘陵を切り開き道を付けたような感じである。

「お客さん、帰りはどうしますか?」と運転手に聞かれ「バスで帰ります」と言った。

「バスはあまり来ないから、道を憶えておいた方が良いとおしえてくれた。

さて 「安楽寺」というお寺はお庭もよく手入れされている。  

260pxanrakuzitemple 新緑のもみじが鮮やかだ Photo

大きな楠が天に向かって立っている。Photo_4

弘法大師の石像がお参りに来る信者を静かに見守っている。

今更ながら、弘法大師は後の世の事を考えて、布教されたのだと感心する。

昔、本当に道もなく交通が不便だった頃から救いを求め、生きる希望を求め信者がやってくる。

お寺は絶える事なく続いてきた。

札所めぐりは、それを成就させてこそ救われたり、仏により近づく事ができるのだろう。

Photo_2 Img_0211 本堂、三重塔は文化財に指定されている。 Photo_3

さて、お参りも済ませ心もすがすがしく、帰路についた。

帰り道が分らないので、門の前に止まっている車に女性が乗っているので、バス停がどこにあるか聞いてみた。

バス停に行くなら、駅まで歩いたほうが良いと教えてくれた。

バスの時間は昼間は2時間に一本あるかないかだという・・・・

しかし歩くと、一時間半から二時間位はありますという・・・

タクシーは呼べば来るけれど往復運賃だそうで、歩く事にした。

私は夜の予定のため久しぶりにお洒落をしてきていた。

履きなれない、踵の在るサンダルを履いている。

予定外のハイキングになってしまった。道々タクシーはおろか人も来ない、自転車に乗った高齢者の人が一人だけ追い越して行った。

昔の人は草鞋を履き歩いておまいりをしたのであろう。

やすこさん、こんなに大変な札所お参りをしているのだから、ご利益が沢山あると思うよ・・・などと話しながら、お茶を飲みながら話すより、時間が有効に使えて充実しているね・・・・

励ましあいながら帰ってきた。日頃の運動不足が少しは解消されたかな(笑)

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坂東札所めぐり

「埼玉の古い古刹」

風薫る五月晴れの日、近くに住む友人yasukoさんから「お寺に行かない?」とお誘いが入った。

最寄りの駅から約1時間くらいの所に、二つお寺があるそうだ。

一つ目は「高坂」(たかさか)で降りてバスで10分、それから徒歩5、6分のところで、近くにはマラソンが強くて有名な「大東文化大学」のキャンパスがある。

「正法寺」別名「岩殿観音」 Photo_2 平日のせいか静かである。

ここは坂東札所の一つに入っている。

yasukoさんは今年から「西国三十三番めぐり」を終えて、いまは「坂東十一番めぐり」をしているそうである。

彼女が記帳をしてもらいにいっている間、お寺の小高い丘のほうに鐘楼があるので見に行った。 古刹にふさわしい鐘楼である。                 Img__2

この鐘が鳴らされた時は遥か彼方まで響くと思われる。

それは秩父の山並みが眺められるくらい視界が広がっているからである。

昔から、人々に時を告げ平安を祈る声を届けていたことだろう。

Img_0190_2 記帳を終えた彼女が戻ってきた。

二人でお寺の中を散策する。

我らよりかなり若い女性が一人お参りしている。

しばらくすると、もっと若い男性が一人きた。

最近は若い人たちに、「札所参り」が流行しているとか・・・生きにくい現代社会で苦しむ若者が増えているのかもしれない。

寺の庭は広々している。京都や奈良の寺院のように整然と手入れされたのとは違い、有りの侭というか、素朴な感じがいい。

大きなイチョウの木が眼に留った。高々と空にそびえている。

秋、金色に染まった頃また訪れてみたい。

Img_0200 珍しい花が咲いていた。「カルミア」と札がつている。神戸と女性が寄贈されたらしい。

Img_0196 帰り道、バス停までくると大学のスクールバスが満員の学生を積んで通り過ぎていった。

「若い人も大変だ。勉強をしてもそれを社会に還元できる仕事がなくて、コンビニでアルバイトをしたりしなくてはならない事もあるのだからねえ・‥」

「先生が学生に刺される時代になってしまった。」

日本はこれでいいのかな〜

二人はバスに乗って駅に向かいました。次ぎにいったお寺は大変だった。         

 つづく

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「母の日」

「苺ジャムの思いで」

Dsc_3921 今日は朝から気温が高く、関東地方でも真夏日という天気予報だった。

窓の外は朝から眩しく、木々の緑が一段と濃くなったようである。

日曜の朝はゆったりとしているので、好きな物の朝食に取りかかる。

大好きな苺ジャム(このジャムは茜さんの手作りでプレゼント)と、

綾部のO氏のパン、そしてひろこさんから送られた北海道のアスパラガス、スクランブルエッグと例のコーヒーというメニュー。

ゆったりとした時間が流れ、ジャムの程よい甘みが、思い出を引き出してくれる。

小学生の頃、確か3年生くらいの頃から、学校給食が始まった。

パンは少し大きめのコッペパンだった。

木の箱に入っていたが、箱についているところに木のにおいが移っていたり、

ネバットしているのがとても嫌だった。

でも時々。苺ジャムが付く日があり、楽しみだった。

中学生の頃、ある日何か探し物をしていたら、母が持っていたらしい「苺ジャムの作り方」とか、お料理のレシピらしい物が出てきた。

「ああ〜、お母ちゃんは元気だった頃、苺ジャムを作っていたんだ」と急に亡くなって何年もたっていたのだが、母を身近に感じたことがあった。

それ以来もっと苺ジャムが好きになった。

子育ての時代、子供たちは苺が大好きで、小さくて安い酸っぱいくらいの苺を

いっぱい買ってきて、ジャムや、ゼリー、苺ミルクにして4人のお腹を満足させた時もあった。

今日は母の日、お花やカード、お芝居のチケット、そして好物のお酒が届いた。 Dsc_3901

Dsc_3904

若くして亡くなった母親にいまの健康な体を与えてくれたことを感謝し、

子供たちにも感謝して、まだまだ元気で一日でも、楽しく過ごしていきたい・・・

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野の花

「花には みんな 名前があるよ」

2年生に進級した孫に久しぶりで、会った。

子供は半年もすると、成長しているなあと実感する。

身長も伸び、顔つきも幼児から小学生の顔に変わっている。

はじめは何となく恥ずかしそうにしている。

ふと、テーブルの上にある花に目がいった。

「あっ、お花が活けてあるね」と言うと「私が摘んできたんだよ」という。

そして、花の話題ができて、だんだんいつもの関係にもどっていった。

Dsc_3527 「この花の名前は何ていうか知っている?」と聞くと「知らないけれど、雑草で畑のわきに一杯咲いていたので、摘んできた」という。

「小さい菊のようで可愛かったから」だと言う。

「薄いピンク色や、開くと白くて綺麗だね」

「人にもみんな名前があるように、お花にも名前があるんだよ。

このお花は、ハルジオンか、ヒメジョオンというのよ」

「フーン、そうなんだ」

そして、何本かの茎を折って、みせるとこれはハルジオン、これはヒメジョオンと遊んでいた。

(クリックすると大きくなります)

辞書で調べてみると「ハルジオン・ヒメジョオン」

キク科ムカシヨモギ属の草である。

 多年草 '背の高さが30cm~80cmくらいになる。

根元には篦型の根出葉があり、花の時期にも残ることが多い。

葉と茎は黄緑色で、まばらに毛が生える。茎はあまり枝分かれせずに伸び、先の方で何回か枝分かれして、花をつける。花はヒメジョオンと同じく、細い舌状花を持つヒマワリのような花だが、白とピンクのものがある。また、ヒメジョオンより一回り花がが大きい。花の時期は4月~5月頃でヒメジョオンよりも早い。 北アメリカ原産の帰化植物で、日本に入ったのは大正時代の中頃と言われている。現在では、都会を中心に見られる。 また、一部の地域では「貧乏草」と呼ばれ、「折ったり、摘んだりすると貧乏になってしまう」と言われている。

名前の由来「ハルジオン」を漢字に直すと「春紫菀」となる。

「春に咲く、キク科のシオン(紫菀)」という意味。

また、標準和名はハルジオンであるが、同類のヒメジョオンと混同して、ハルジョオンと呼ぶ間違いが見られる。

見た目が非常に似ている上に、名前も紛らわしいので、注意が必要。同じように、「ヒメジョオン」を「ヒメジオン」と呼ぶ間違いも見られる

ヒメジョオンとの見分け方ハルジオンとヒメジョオンは、花がよく似ていて混同してしまうことがある。 標準的には、ヒメジョオンの方が背が高く、花は小さくて数が多く、根本がすっきりしている

これに対して、ハルジオンは、背は低く、花は大きくて少なく、根本に葉がある。

また、ハルジオンの蕾は下を向いて項垂れているような特徴がある。従って、しっかりと比べて見れば、はっきりと見分けがつく。

分かりにくい場合は、茎を折ってみるとよい。ヒメジョオンの茎には空洞がないが、ハルジオンの茎には真ん中に空洞がある。

葉の付き方も違い、ヒメジョオンの葉は茎を抱かないが、ハルジオンは茎を抱くように付く。

Dsc_3530_3

  野の花は、可憐でよく見るととても美しい。

Dsc_3544 Dsc_3554

 

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観察するのは楽しい

「小石川後楽園の小鷺」

小石川後楽園は、茗荷谷や飯田橋に近く、武蔵野の面影をとどめている都内では有名な回遊式庭園である。

上京して以来数え切きれないくらい、訪れるているところだ。 思い出も沢山あるが、京都の友人を連れてきたり、桜の時期、同窓会の幹事になったときも、ここにして好評だった。

今年は桜の開花が、早い早いというのを聞き、後楽園の「枝垂れ桜」を観察にいったが、まだ蕾でかなりのフライングをしてしまった。

夕暮れが近く、太陽は西に傾き撮影には好条件なのに惜しいなあ〜。

でも庭園内を一廻りした。もう人影もなく一組の若い男女が静かに話しているだけだ。

小さい池の方にいくと、小鷺が池の面を見ながら探し物をしているように、歩いている。

20090318_143 「あれ、いつもはじっとしているのに、どうしたんだろう?」不思議に思って観察していると、池の中へ降りようとしている。

足場を探しているらしい。

カメラを向けるが、手持ちでは遠くすぎて鷺は豆粒位にしか写らない。

撮影は諦めて、見ていること約一時間。

しばらく鷺もチャレンジしていたが、諦めたのか低空飛行で場所を変えた。

そうろり、そうろりと近づくと、そこは水がちょろちょろと流れ込み。丁度良い大きさの石があるところである。

あたりには目もくれず鷺は水面を見つめている。 20090318_314

夕日が鷺に体を映し出し、スポットライトを浴びて白い羽が輝いているではないか。

 「もう少し、もう少し」とにじり寄っていく。

よく見ていると、「餌を捕っているのだ」と判った。 水面を見ている時は、何秒間はじっとしているが、その動きは素早くて、なかなかうまく捉えられない。

辛抱強く、見守っていた。

そうすると、だんだん楽しくなってきた。 「小鷺になった気持ち」

餌は、池にいる小さい魚や、フナや貝らしい。

蛍の光のチャイムが流れて、閉門の時間がきた。 食事が終わった鷺君が、首を長くして見送ってくれている。

20090318_333 早春の午後のことでした。

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快適!マック生活の始まり

appleのうた」

かなり前からpcが遅く、記事が反映されなかったり、と買い替えを考えていたが、

娘のアドバイスに従ってマックユーザーになってしまった。

今までノートを使っていたのを24インチにチェンジした。

「うわお〜」 なんと快適!なんと楽しい!

こんなパソコンライフがあったなんて!

使い方はまだまだ未熟だけれど、銀座のショウルームへ出かけサポートを受ける。

息子よりずっと若い、スタッフに教えてもらっている。

windowsの時は我流で本と首っ引きで、なんとか使っていた。

今度は、チャンと憶えて使いこなせるようになりたい。

(頑張れロートル、もう少しは脳が働いてくれると信じて) 今年の桜をアップしておこう。画像アップも憶えればすごく、カンタ〜ン! 20090316_22 20090316_48

ここからは、山梨県北杜市から見た風景 Dsc_3426 Dsc_3396 Dsc_3482

桜前線ももう北に行ってしまって新緑の季節になってしまった。 これからは、らくちん生活になりそうだ。(クリックすると、大きくなります) Dsc_3414

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父の故郷

「若狭の文化」

Photo_3 今月始め父方の祖母の50回忌と、叔母の法事があり、17年ぶりで若狭湾に面した父親の故郷へ出かけてきた。

どこの地方もそうなのだが、昔の風景とは様変わりしていた。

母の背に負ぶわれて行き来した峠は舗装された道に変わり、数え切れない蛍が舞っていた山の水はなくなり、蛙がうるさく鳴いていた田んぼは、休耕田になり荒れ果て草むらになっていた。

しかし村の人々の生活は道が出来てからは一変し、漁業とわずかな土地を耕していた頃とは違い今は民宿や、ふぐの養殖で、夏は海水浴客、春や秋はつり好きのお客が来て賑っているそうだ。

父が生きてこの様子を見たら、何と言うだろう・・・

私の記憶の中のイメージは、暑い夏、峠の頂上で一休みすると涼しい風が頬をなで、青く澄んだ若狭湾の入り江が見えて、もうすぐおじさんの家だとほっとする。

夏でもいろりに薪がくべられ、大きな鉄のなべに、野菜や魚が入った汁が良い匂いを漂わせている。

食べると子供の口には、美味しくはないのだが今思い出すと、田舎の味なのだ。

法事は一日かけて行われた。山里の寺は、今は立派に改修されて、古いご本尊も、格高く見える。

今は村の人口も減り、13軒でお寺を守っているそうだ。OO家OO万円お供え、××家座布団寄贈・・・大変だな~・・・この辺りは、いや田舎の人たちは信仰心が厚く、お寺を大切にする。

昔、今でもそうだが、住職さんは裁判官であり、学者であり、仏の橋渡しをする人であった。

記憶の中の、祖母や叔母は、お盆や法事の時、石臼で米を挽き、白くて丸いお団子を作り、お供えしていた。

いとこたちは5人もいたが、誰も手伝わず、遊びに出かけてしまったが、私は石臼の「ごりごり」という音や米が擦れる感触が好きで、よく手伝った。

そして誰よりも早く、蒸しあがったお団子に白い砂糖を振りかけて食べるのが好きだった。ご褒美におばさんが「手伝ってくれてありがとうね」と言葉を添えてくれた。

ふふふ・・・私は食い意地が張っていたというのが本音なのだが・・・・(この頃京都では、戦後で食べるのが大変だった)

父の生まれたこの村は、「ちりとてちん」で一躍有名になった小浜市に合併されたが、町まで出るのに車で20分くらいかかる。だから村には文化遺産はないが、小浜市まで出ると由緒ある国宝や、重要文化財に指定されたお寺や仏像がある。

奈良時代、平安時代のものが多い。京都は度々戦火で平安時代のものは少ないが、この地で静かに仏像は生きている。今回少しだけ拝ませてもっらてきた。

Wakasa_5

写真は撮れないのでパンフしかない。実像とは大分大きさや雰囲気が伝わらないが、妙楽時の千手観音菩薩立像は若狭で最も古い仏像である。719年、僧(行基)が開創し、797年弘法大師が再興したと伝えられている。

柔和な表情は安らぎを感じさせられる。

他の七体の仏像も奈良、平安時代の特徴が見られる。

小浜湾は15世紀象を積んだ唐船が上陸するなど、「海のシルクロード」の玄関とも呼ばれ、都とは「鯖街道」で結ばれていてさまざまな文化や技術が行きかったそうである。

町のたたずまいは「海のあるなら」と言われ静かな風情が残っている。

食も新鮮な魚を保存する知恵があり、秋に豊漁の鯖は塩と糠で漬け込み「へしこ」という、春になるとその糠を洗い、麹と白米で「鯖のおすし」に漬けなおす。滋賀県独特のフナ寿司の作り方と似ている。これは地元の人たちしか知らない食べ方で、体に良い「発酵食品」で、凄い知恵である。

父はこの「鯖のおすし」が好物であった。小鯛の笹漬も有名である。

また、古刹を訪ね美味しい魚料理を食べたいと思う。

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映画「おくりびと」をみて

「しみじみ感動」

良い映画や音楽、書物にであったとき、幸せな気持ちになるが、「おくりびと」はまさにそんな作品であった。

大きな画面に映し出される風景は、雪をかぶった山々が連なる、美しい心の故郷の景色だ。

モデルは山形県酒田市だそうで、先日見た写真展「土門  拳」の出身地である。

映画のストーリ-や、俳優さん達の演技ももちろん大変良かったし、アカデミー賞を受賞するだけに素晴らしかった。

何ヶ月も練習されたという本木さんがチェロを田園の中で弾くシーンが、印象的だ。

音楽は「久石譲」さんで、前から好きな作曲家で、景色に流れ込んでゆく優しさが、しみじみ心に響いてくる。

主人公が、子供の頃に弾いていた小さなチェロを、いとおしむように腕に抱え演奏する場面は、死者を送り出す支度をするときの手と同じように優しく大切なものを包み込む手だ。

妻は夫の職業を知った時、「汚らわしい、触らないで、この仕事を続けるなら離婚する」と言い、幼馴染からは、「もう少しましな仕事を探せよ」と言われる。

「生と死」・・・改めて考え込んでしまう・・・・

あちこちから、涙をすする声が、密やかに聞こえてくる。

それぞれが、身近な人を、大切な人を、亡くしたときのことを思い出しているのであろう・・・・

主人公の、驚きや戸惑いは、経験した事のない若い人が持つのと同じだ。

この映画はもっともっと若い人に見てもらいたい。

解説や物語りは公式HPがとても分りやすいです。是非見てください

  http://www.okuribito.jp/statics/story.html

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写真専門学校二部卒業作品「オリンパスギャラリー」

「写真は何を表現できるか?」

Mさんの写真専門学校の展示会で知り合った若い友人「えみさん」は、同じ学校の2部の学生さんで、彼女は報道写真の道に進みたいという希望を持っている。

オリンパスギャラリーで、展示会をしているので、見に行ってきた。

Photo この写真は同じクラスの学生さんのもので案内のはがきをお借りしたものであるが、インパクトの強い写真である。

先日「土門 拳」の写真展を見たばかりだったので、モノクロ写真に目が行ってしまうのだがこの写真はインドで撮ってこられたそうだ。

国状の違いが一目で、分りなるほどと感じる。

そのほかの作品も力作ばかりで、若い人のエネルギーや、生活の様子が、写されていてとても勉強になった。

えみさんの作品は、彼女個人をよく知らないのであるが、現実の日本の「格差社会」が切り取られていてよく表現されていると感じた。

半年以上をかけて、東京のあちこちを撮って回ったと話しておられた。2008年に起きた出来事が、メモリ-として記録されている。

秋葉原事件、年末の日比谷公園、その他の事件・・・

そして「日本の格差社会の根源はどこにあるのか」を考えて若い人の感覚で捉えている。

社会派の目からみた東京が感じられた。

他には、多摩川の夕暮れの空を撮っている写真も良かった。東京にもこんな美しい空があるのだと思うと嬉しくなった。

「写真は何だ!」・・・これが、私にとっては、まだまだ大きな課題である。

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